鏡像段階についてのラカンの図の説明を試みる。
主体は全身を観測できないので斜線が引かれる。しかし鏡である他者を用いることで自身を見ることが出来る。しかしこの像は他者の承認を得てはいない。
手前にある花々は目、鼻、口、手、足を意味している。(対象そのもの)これらはバラバラで統一されていない。しかし鏡に加え凹凸鏡を用いるつまり母に抱かれることで花瓶に花が生けられる。これによってバラバラだったものは統一され自我が出来る。しかしその自我は虚像に過ぎない。
鏡は移動させることが出来る。すなわち他者が常に現前するとは通常考えられない。
しかし理系の人によれば図のようにきれいに像が出来るかどうかは怪しいとのこと。