二つの原則と奇跡
快感原則と現実原則を簡単に述べると 『精神分析入門』(フロイト)から
快感原則は刺激をなくすことを目標とするが、それはシニフィアンのシステムそのものでありいくつもの書き換えを経る。刺激即反応にならないのが人間の宿命である。
現実原則はこれは自我での領域だが、刺激に反応せず待つことである。それはしばしば環境によって要請される。そしてこれは子供には実践し難い。
人間の本質は遅延にあると先生が言っていた意味はこのことだろう。そして現実原則は「奇跡」を人に与えるのだとも。
その「奇跡」は極めて物理的なものである。他者の死、出会い、事件などそれは人が本来は支配できるものではない。予知すら困難かもしれない。
快感原則は現実原則に劣るという見方はどうも好かない。そもそもこんな事は精神分析を時代遅れの遺物だと考えている人にとってはどうでもいいのかもしれないが
奇跡という言葉はいかにも認識論的な印象を与えるので賛否が分かれるにしても最後に救ってくれるのは死か知か奇跡しかないとは確信できる。