Nigorobuna’s blog

普段の講義や本を読んだり人と話したりしたことについて

「個」の時代と自分探し その1

 はじめに 自分探しの定義「それまでの自分の生き方、居場所を脱出して新しい自分の生き方、居場所を求めること(デジタル大辞泉)」「アイデンティティの確立や自己実現のための取り組みを意味する語…(実用日本語表現辞典)」weblioより

 現代では以下のことを自明かのように善とみなしている。「人は自立した個人であるべきだ。」言い換えると少年少女は成長し「自分で責任を負える大人」になるということだ。このことがいかに特定の人々にとって都合の良い話であるのかということについて述べると、まず集団で使用していたものを個人単位で購入するとなればその分だけ数が売れる。集団の例は家族や地域共同体である。自分で責任を負えるという言葉は勇ましくあるが要は体のいい会社の歯車である。これらの人間は自己啓発も欠かさないだろうから益々都合の良い人材だ。そもそも自己啓発という言葉についてだが、終身雇用が崩れ年金も期待できないそれどころか生活保護者になればナマポだと揶揄される不安定かつ自分で何とかしない奴が悪いという日本の現状の文脈において理解してもらいたい。この失われた30年間の責任は政府ではなく自己啓発を行わなかった個人にあるのだという風に持っていった人たちがいたし、いるのだ。(無論100%どちらかに責任があるとは言えない)逆に人々がそれを望んだと言える話も展開できる。閉塞感の満ちた社会において政府や企業を相手取って戦ったり自分で状況を打破し新しい地平を開くのは困難であるというか労力が必要だ。つまり服従しつつ自己啓発により小手先のことをしている生き方の方が前のものより楽である。起業すればいいとかいうのは程度の差に過ぎない。

 また「アイデンティティ」は自己同一性と訳される。社会的、集団の役割を失うことがその喪失であるからしてこれに耐えうる人を生み出そうというのが現在の流れではなかろうか。危機についても同様。こう書くとエリクソンの出自がこれに絡んでいることに対して思うところがある。自我心理学と生まれと似ているのは偶然ではないだろう。

 集団から離れ、アイデンティティの危機、喪失が起こり個の時代が訪れ、その対策として自己啓発と自分探しがもてはやされるようになったとまとめておこう。その2ではタイトルにある通り自分探しについて考えていこう。

 

 以下は別の話 最初に投稿したカウンセリングについてもこれと似たようなことが流行の遠因になっていると考えられる。たとえば不登校児童数と何世代家族であるのかについて相関関係が見られるのかもしれない。しかし教育への関心、価値観の変化など問題は多面的で入り組みあっているから見極めが必要だからまたの機会で。