Nigorobuna’s blog

普段の講義や本を読んだり人と話したりしたことについて

「個」の時代と自分探し その3

 ボランティア活動をしても一人旅をしても、何気ない日常の中で「自分はこのままでいいのではないか?」なんて考えたとしてもそれが自分探しと呼ばれるとは限らない。自分探しはあくまでも「本当の自分」を見つけ出すことが重要視される。ここで前回述べた自分探しについての第三の点について見なおそう。

3:自分探しは現在所属する共同体から心理的または物理的距離をおいて行われる

まずこれは必要条件だろうか?それとも単にこのような事例が多いだけであろうか?

 先に少しだけ紹介した自己物語についてだが、自身のライフスタイルが自分探しの行動へと中心が移っていくことによって自己物語が書き換えられるとのこと。満江亮(2012)で挙げられた旅にしても大学生活から長期の旅へとライフスタイルがその期間中は変化している。自分の認知していないことを探すためには出来るだけ普段の生活から離れたほうが良いと考えているだろう。また否定的感情が原動力ならば現在いる共同体から距離をとろうとするのは自然である。

 共同体から出て何を彼らが行うのかというとまた新しい共同体を作成するのである。それは以前のものの様に確固たるものではないかもしれないが他者との交流がある。その2で自己を形成するには他者が必要であると述べた。別に今いる共同体から物理的に離れて自分探しなどしなくてもそれこそ隣に座っている人に話しかけたり、ジョギングでもしてすれ違った人と話すとかでも十分ではないか?このことを踏まえると第三の点は必要条件であると決定づけられよう。

 自分探しがこのような二つ、「本当の自分を見つけること」「現在所属する共同体から心理的または物理的距離をおくこと」で新しく定義された。

 前者に対してはその2で述べた。後者に対しては良いも悪いもあるのでもうここでは扱わない。ただ定義というよりどういう要素で出来ているのかといった方がいいかもしれない。

もうすこし距離を置くことについて考えたいがどうもいい展開が思いつかないので曖昧になってしまって満足しないが今はここで終わりにします。また思いついたら書くかも