Nigorobuna’s blog

普段の講義や本を読んだり人と話したりしたことについて

借りる

 墓なんか不必要であるとの論が出てきたのはいつからか。この考えが生まれたときには人はもうこの上なく貧しくなってしまった。たとえば童謡や幼い頃から聞いてきた音楽は今はじめて聞くネット上にある音楽とはその質を異にしている。きっと前者の物には追憶を起こすものがあるのだろう。それは密かであるが金では買えぬ尊いものだった。後者は手軽ではあるが二回目を聞くことがないものがほとんどだ。墓参りに行くのは車に乗っている間に故人のことを思い、墓前で合掌し頭を垂れる。この時間が我々にとって必要であるからこそ弔いと墓は気の遠くなるほど古い時代から続いてきたのだ。

 こんな事が頭に浮かぶのも初めて友達から本を借りて読んでいるからだ。手元にあるこの小説を、もし仮に借りるのではなくKindleなどで購入して読み始めていたら一冊目で読むのを止めていたかもしれない。あの辺鄙な所にある図書館へ借りに行ったとしたら?自分で本屋に買いに行けば?アマゾンで注文したら…?どうやって本が自分の手元に来るかなんて考えたことがなかった。本の手触り、表紙の絵、新しい栞。書かれた内容だけじゃない沢山の対話がきっとある。本を借りて読むといつもの読書とは違う感じがする。借りたのが小説(滅多に読まない)だからというではなくて何か本を手に取らせようとするそんな感じのするものだ。うまい言葉が思いつかないので寝ます。明日は友達と中華を食べに行くから早めに寝ないとね。